平成647日目

1990/10/16

この日のできごと(何の日)

【海部俊樹首相】平和協力法案「憲法の枠内」

国会は16日午後1時すぎから衆院本会議で海部首相の所信表明に対する各党の代表質問に入り、国連平和協力法案をめぐる論戦を開始した。

海部首相は協力法案による自衛隊の海外派遣に関連し、①憲法の枠内が前提で、集団的自衛権のこれまでの解釈をなし崩しにするものではない②海外派遣は、武力による威嚇、武力の行使にあたらないことを前提としており、海外派兵にあたらない③自衛隊の多国籍軍への派遣は考えていない、との見解を表明した。これは海外派遣は従来の憲法解釈に沿うことを強調すると同時に、憲法が禁じている集団的自衛権に踏み込んでいくのではないかとの危ぐに配慮したものだ。《共同通信》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

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【韓国・姜英勲首相】北朝鮮訪問

平壌での第二回南北首相会談出席のため、姜英勲首相ら韓国側代表7人は16日午前9時すぎ、随行員、報道陣83人とともに南北を分断する板門店の軍事境界線を越えて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)入りした。

一行は北朝鮮側区域内の「統一閣」で安炳洙・祖国平和統一委書記局長ら北側代表の出迎えを受け、開城を経由して午後1時すぎ列車で平壌に到着した。韓国の首相が平壌入りしたのは分断史上初めて。平壌での南北会談は1985年8月の南北赤十字会談以来、約5年ぶりのことだ。

韓国とソ連の国交樹立、北朝鮮と日本の急接近など、朝鮮半島をめぐる国際情勢の急変の中で、南北首相は9月初めの第一回会談(ソウル)に続き、第二回会談で朝鮮半島の緊張緩和の具体策を話し合う。

平壌への出発に先立ち、韓国側の林東源スポークスマンは板門店で「われわれは第二回会談で、実質的で具体的な合意点を生み出すため最善の努力をしたい」との声明を発表した。

この朝、姜首相ら一行は午前七時すぎソウルの政府総合庁舎を出発。同8時半、板門店の韓国側「平和の家」に到着した。声明の後、姜首相ら代表7人は北側が差し向けたベンツに分乗し、休戦ラインを越え、北朝鮮入りした。

随行員33人、報道陣50人を含む韓国側一行90人はこの日夕、平壌市内で延亨黙北朝鮮首相主催の夕食会に出席。公式会談は17、18の両日、人民文化宮殿で行われ、18日には姜首相が韓国首相として初めて金日成主席と会談する予定。

この席で南北関係の画期的改善を目指す盧泰愚大統領のメッセージが金主席に伝えられるとみられており、会談の進展とともに、金主席と姜首相の会見で何が話し合われるかが焦点となっている。《共同通信》

【自民党・小沢一郎幹事長】野党と妥協の余地ない

自民党の小沢幹事長は16日夕、報道各社のインタビューに応じ、同日国会に提出された国連平和協力法案について「政治の判断にかかわる問題であり、従来の足して二で割る妥協の仕方は、この問題では可能性が薄い」と述べ、同法案の中心である自衛隊の海外派遣などについては野党側と妥協する余地がないことを強調した。公明党の提唱している時限立法化についても「国連に協力するのは今回だけではないので、なじまない」と否定的考えを示した。

将来の国連軍の参加については「個々の国が持っている自衛権と国連全体の決定(による措置)は別次元の問題だ。集団的安全保障という言葉は紛らわしいので使わないが、国連には平和維持活動がある」と述べ、国連の平和維持活動への自衛隊の参加は、憲法の禁じる集団的自衛権とは別次元との認識を示した。

小沢氏は法案の成否については「現実に参院では自民党の数が足りないので通らないことは一般的にはある。成立を期待したいが、成否にかかわらず正面から取り組む」と論議すること自体が重要との考えを示した。

法案が不成立に終わった場合の海部首相の責任問題については「参院では与党に過半数がないので、大事な法案が通らなかったのは内閣の責任だと言っていたら、しょっちゅう内閣は代わらなくてはならない。内閣の責任ということは全然ない」と否定した。

また、アジアの近隣諸国が自衛隊の海外派遣を懸念していることについて「国連への協力が最大のポイントであり、この点を説明すれば、近隣諸国も疑問を持たない。説明する行動は必要だ」と述べた。《共同通信》

【政界メモ】

◯…海部首相は、各党代表質問が始まった16日、今度の臨時国会を「平和国会」と命名した。今国会は、国連平和協力法案による「自衛隊の海外派遣問題」を最大の焦点に「第二安保国会」「中東国会」とも呼ばれ、与野党の激しい論戦が必至の情勢。

記者団に「野党は安保国会に準じる国会と位置付けているが」と聞かれ、首相はすかさず「平和国会だな。湾岸危機に対応する平和国会だ」と応じた。これまでのハト派イメージが揺らいでいるのが気になるのか、最近は「国際社会の平和」「アジアの平和」と事あるごとに「平和」が口をついて出る首相。果たして今国会を“平和”に終えることができるか。

◯…この日、自民党の政治改革本部・選挙制度調査会合同総会で、若手議員3人が視察した海外の選挙制度を報告した。話の中心は、やはり選挙費用で、園田博之氏(熊本二区)は「豪州は300万—800万円。ニュージーランドは400万—500万円。あまりにケタが少ない」と驚嘆。英国、旧西ドイツを回った片山虎之助氏(参院・岡山)も選挙費用の少なさを強調した。

ところが、米国の状況を報告した赤城徳彦氏(茨城三区)は「テレビのキャンペーンなどもあり、上院で4億—5億円。下院でも4000万—5000万円だ。そして日本ほどではないが…」と付け加えるあたり、自らの金銭感覚を暴露した格好?《共同通信》

【アート・ブレイキーさん】死去

1961年に「ジャズ・メッセンジャーズ」を率いて訪日、日本で空前のモダンジャズブームを生んだ米国ジャズ界の巨匠、ドラム奏者のアート・ブレイキー氏が16日、肺がんのためニューヨーク市内の病院で死去した。71歳だった。

十代の時からジャズドラマーとして活躍。54年にはクリフォード・ブラウン、ホレス・シルバーらを含む自らのクインテットで、ニューヨークのライブハウス「バードランド」に出演。「ハードバップの幕開けを告げた」と評価される名ライブ録音を残した。

翌55年「アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーーズ」を結成。58年には、ジャズ史上に輝くヒットアルバム「モーニン」を吹き込んだ。初訪日は61年正月。リー・モーガン、ウェイン・ショーターらをメンバーとする「ジャズ・メッセンジャーズ」は、白熱した演奏で、日本のモダンジャズブームに火を付けた。「ナイアガラの滝」と呼ばれた力感にあふれる激しいドラミングが特徴だった。

最近まで若手奏者を率いて活躍しており、11月に日本公演も一時計画されていたが果たせなかった。日本を「第二の故郷」と呼び、コンサートでも「ジャパン」と呼ばず「マイホーム」と言い換えるほど。前夫人は日本人で、現夫人との間に生まれた二人の息子にも「アキラ」「タカシ」という名前を付けていた。初訪日の際に味を覚えた日本酒をはじめ、日本の生活習慣がお気に入りで、単独の演奏旅行も含めると訪日は二十数回に上った。

代表盤に「モーニン」「バードランドの夜」「サンジェルマーンのジャズ・メッセンジャーズ」など。リズムセクションとして参加した「サムシン・エルス-キャノンボール・アダレイ」などの名作もある。《共同通信》



10月16日 その日のできごと(何の日)