平成554日目

1990/07/15

この日のできごと(何の日)

【ソ連・ゴルバチョフ大統領】西独・コール首相と会談

ソ連のゴルバチョフ大統領は15日、ソ連訪問中のコール西ドイツ首相と第一回の会談を行った。先進国首脳会議(ヒューストン・サミット)とソ連共産党大会終了後、ゴルバチョフ大統領が主要西側首脳と会談するのはこれが初めて。

ゴルバチョフ大統領は会談後の記者会見で、「年内にも予想されるドイツ統一後に両国関係の全般的な協力の基盤となる二国間条約を締結する用意があることを表明した。

また、ここ2カ月の間に東西関係には本質的な変化が生じた、と述べ、6月初めの米ソ首脳会議以降、欧州共同体(EC)、北大西洋条約機構(NATO)など一連の西側主要国の首脳会議で対ソ敵視政策が修正されたことを評価した。

会談は15日午前10時(日本時間午後3時)から、個別会談とゲンシャー外相、ワイゲル蔵相を交えた全体会談の後、昼食を共にしながら合計3時間続いた。

統一ドイツ成立後のドイツ・ソ連協力条約は、コール首相がポーランドとも同様の条約を締結する意向を表明していたが、具体的な内容は明らかではない。

ゴルバチョフ大統領は記者会見で将来の両国の協力関係を条約上の基盤に置くことを話し合った、と述べ、両国の協力の必然性として①ドイツとソ連との歴史的な関係②西ドイツおよび東ドイツが東西それぞれの陣営で最大の対ソ貿易相手国―との現実がある、と指摘した。

ゴルバチョフ大統領は「会談は友好的かつ建設的な雰囲気で行われ、話し合いの核心に入った。この核は堅いが、われわれはそれをかみくだく丈夫な歯を持っていると信ずる」と述べ、ドイツ統一問題の最大の懸案となっている統一ドイツのNATO帰属問題で突っ込んだやりとりがあったことを示唆した。《共同通信》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

情報量が少ない日は随時加筆中です。

引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。

外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)

古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。

このサイトについて

【大相撲名古屋場所】8日目

大相撲名古屋場所8日目(15日・愛知県体育館)千代の富士、北勝海両横綱が2敗目を喫す波乱の土俵。大関霧島の休場もあって、7人いた1敗力士が一気に旭富士、小錦両大関と関脇安芸ノ島の3人に減った。

千代の富士は新鋭、琴錦の鋭い突き、押しに防戦一方となり完敗した。平幕琴錦は千代の富士から初勝利で、金星は先場所の北勝海戦に続いて2個目。北勝海は、安芸ノ島の左からのいなしに体勢を崩しもろ差しから寄りに屈した。

旭富士は同じ大関北天佑につけ入るスキを与えず無難に寄り切った。小錦も花ノ国にもろ差しを許しながらも安定した取り口で快勝した。新小結孝乃富士は8戦全敗で負け越し決定。十両は人気者の若花田が1敗を守り、優勝争いの単独トップに立った。《共同通信》

大相撲の東張出大関、霧島(31)=井筒部屋、鹿児島県出身=が名古屋場所8日目の15日から休場した。休場は昭和50年春場所初土俵以来、初めて。

霧島は前日(14日)の安芸ノ島戦で左太ももの筋肉を痛めて名古屋市内の病院で診察を受け「左大腿部筋筋膜一部断裂(肉離れ)の疑いで10日間の安静を要す」と診断されていた。《共同通信》

【全日本柔道体重別選手権】

北京アジア大会の代表最終選考会を兼ねた柔道の全日本体重別選手権は15日、福岡市民体育館で7階級(無差別は実施せず)に各8選手が出場して行われ、注目の95キロ超級は4月の全日本選手権2連覇の小川直也(中央競馬会)が関根英之(東洋水産)に優勢勝ちして2年連続3度目の優勝をした。

71キロ級は第一人者の古賀稔彦(日体大大学院)が決勝で酒井英幸(自衛隊)を判定で下して4年連続優勝。《共同通信》

【インド・シン首相】辞意撤回

インドのV・P・シン首相は15日、辞表の撤回に同意した。昨年12月の発足以来、最大の危機に陥っていたジャナタ・ダル(JD)など5党で構成する「国民戦線(NF)」政権はひとまず難関を乗り越える見通しとなったが、事態の完全収拾にはまだ時間がかかりそうだ。

与党JDは同日未明、緊急幹部会議を開き「党がシン首相に寄せる信頼に変わりはない」として、ボンマイ総裁に14日シン首相が提出した辞表を受理しない方針を決定したが、首相の辞意は固く説得作業が続いた。

続いて15日夕開催されたNF最高幹部会議でも、ラマ・ラオ議長らが強く翻意を要請。閣外協力しているインド人民党、左右両派共産党も続投を求める情勢下で、首相も「辞任にはこだわらない」と辞表撤回を受諾した。

事態の完全収拾へのカギとなるのは、今回の事態の発端となったチョウタラ・ハリヤナ州首相の復帰問題にどう決着をつけるかだ。

今回の一連の事態は、寄り合い所帯であるシン政権の基盤の弱さと、首相の指導力の欠如ぶりを暴露、今後、より厳しい政局運営を強いられることは間違いない。《共同通信》

【宮田輝さん】死去

「のど自慢」や「ふるさとの秋まつり」などの司会者として人気を集めた元NHKアナウンサーで、自民党参院議員の宮田輝氏が15日午後0時47分、呼吸不全のため東京都新宿区の慶応大学病院で死去した。68歳。東京都出身。

東京下町の商家に生まれ、明大専門部商科を卒業して昭和17年、NHKに入った。昭和24年「のど自慢素人演芸会」の六代目司会者となり、独特の笑顔と温かくユーモアあふれる司会で終戦後の娯楽に飢え、荒れた国民の気持ちを和ませた。

「三つの歌」「紅白歌合戦」の司会はNHKの看板アナウンサーの地位を不動のものとした。41年からは自ら企画した「ふるさとの歌まつり」の司会者として全国各地を歩き、「おばんです」などと語り掛け国民に親しまれた。

49年2月退職し、同年7月の参院選全国区に自民党公認で出馬し259万票の大量得票でトップ当選、55年参院選も184万票で四位当選し、タレントの知名度の威力を発揮した。

農林水産政務次官、参院地方行政委員長などを務めたものの国会議員としての活動は地味で、党内的ポストには恵まれなかった。

全国区が比例代表に変わった61年参院選では25人の自民党比例代表名簿登載者のうち22位の低位にランクされた。この時は衆院選との同日選挙による自民党圧勝に支えられ、最下位(50番目)で辛うじて当選するという憂き目に遭い、これに反発し選挙後の首相指名を行う本会議を欠席するという抗議戦術に出た。

宮澤派に所属し、国会議員就任後も民放テレビに出演していたが、一年ほど前から体調を崩し、入退院を繰り返していた。《共同通信》



7月15日 その日のできごと(何の日)