平成2851日目

1996/10/28

この日のできごと(何の日)

【プロ野球・阪神】新スタッフ発表

吉田義男監督が就任した阪神は28日、西宮市内のホテルで来季のスタッフを発表した。一枝修平氏がヘッドコーチ、大熊忠義氏が外野守備走塁コーチとして復帰。次代の指導者として期待される若手OBの平田勝男氏、木戸克彦氏が一軍コーチに起用された。

二軍は、監督に和田博実氏、チーフ打撃コーチに石井晶氏がフロントから現場復帰。吉竹春樹氏が外野守備走塁コーチとして加わった。《共同通信》

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【プロ野球・オリックス】仰木彬監督の続投決定

今季で契約が切れるオリックスの仰木彬監督(61)の続投が決まった。同監督は28日、井箟球団代表とともに東京・浜松町のオリックス本社を訪れ、宮内義彦オーナーにリーグ優勝と初の日本一を報告。この場で留任を要請され、了承した。契約年数は明らかにされなかったが、3年と見られる。

仰木監督はことしが3年契約の3年目。宮内オーナーは、2位、リーグ優勝、日本一と着実に結果を残した同監督の手腕を高く評価。「(日本一は)こんなにうれしいことはない。来季以降も了承をいただいた。長ければ長いほどいい」と、仰木監督の援護を約束した。仰木監督は「3年間で一番の報告ができた。しかし、チームはまだ発展途上のチーム。基盤を強くしないといけない」と、早くも来季を見据えていた。

また、宮内オーナーは米大リーグへの移籍を希望している長谷川投手に触れ、「ルール違反は許されないが、球団と選手の判断による」と語った。《共同通信》

【経団連】橋本首相に「要望書」

経団連の豊田章一郎会長は28日午前、首相官邸に橋本龍太郎首相を訪ね、郵便貯金と簡易保険の分割・民営化など18分野886項目にわたる規制の撤廃、緩和についての要望書を手渡した。

これに対し首相は、中央省庁の再編統合には首相自身が中心となって取り組む決意を表明。さらに行政改革を担当する首相の直属機関は「しっかりとした事務局が必要なので、民間からも人材を入れたいのでよろしく」と述べ、経済界の支援を要請した。《共同通信》

【橋本龍太郎首相】行革担当相新設へ

橋本龍太郎首相は、来月発足する見通しの第二次内閣で重要課題となる行政改革に全力で取り組むため(1)首相直属の審議機関の設置(2)行革担当相の新設(3)既存の行革推進本部の強化、を軸とした推進態勢づくりに本格的に着手した。

首相は28日、豊田章一郎経団連会長と官邸で会い、直属機関について「私自身が中心になる」と述べ、行革案の作成やその実行に不退転の決意を表明した。

行革担当相設置について、梶山静六官房長官は記者会見で「まだ頭の体操中で検討していない」と述べたが、首相周辺には行革を最優先課題とする以上、担当相は不可欠との声が強い。《共同通信》

【沖縄県・大田昌秀知事】ヘリポート建設に消極的

沖縄県の大田昌秀知事は28日の定例記者会見で、米軍普天間飛行場返還に伴う海上ヘリポート建設候補地として挙がっているホワイトビーチ沖の中城湾について、「埋め立てて企業を張り付け、工業技術センターを移す計画を進めようとしている」と述べ、ヘリポート設置が県の開発計画の障害となる可能性を指摘した。知事が海上ヘリポートの建設候補地について、具体的に言及するのは初めて。明確な評価は避けたものの、同湾への建設に消極的な姿勢を示した。

周辺の漁業協同組合がヘリポート建設に反対していることについても「既にホワイトビーチとして使われていて、あの一帯はそれほど広いとは言えないので、地元の漁民が心配されるのは当然だと思う」と理解を示した。また、県民から「県民投票の意義や、知事が公告・縦覧代行に応じた理由が分からない」との指摘が出ていることから、「必要とあれば私が考え方を説明してもいい」と述べ、テレビ出演などで直接県民に理解を求める意向を示した。《共同通信》

【政界談話室】

○・・・橋本龍太郎首相は28日午前、首相官邸でおひざ元の岡山県知事選で薄氷を踏む思いで勝った原因を記者団から聞かれると、たばこを手に約10分間も長広舌。厳しい選挙戦だっただけにどうしても目元は緩み気味。出馬の動きを見せていた片山虎之助参院議員を首相自らが説得して断念させた上での決戦。「国会から地方の長になるなら少なくともその県連がこの人しかいないと言うのが最低条件だと僕は思うよ。党人として」と自分の判断の正しさをPRした。敗北すれば責任が問われかねなかっただけに、一番安どしたのは自分自身か。

○・・・中曽根康弘元首相はこの午後、経団連のシンポジウムで講演し「政局は強力、安定内閣をつくらなければ駄目だ。だれが好きだとか、嫌いだとかで考えてはいけない」と持論を展開。その上で「反自民で細川内閣ができたのはある程度意味はある。しかし、反小沢で武村、村山君が飛び出して連立ができ、次は反村山、反武村で民主党ができた。人間的な恩讐で国が動いてはいけない。政策中心に政治家を監視していただきたい」と生臭い例えで警告。安定政権は恩讐の彼方に?《共同通信》



10月28日 その日のできごと(何の日)