平成1741日目

1993/10/14

この日のできごと(何の日)

【細川護熙首相】政治改革「4法案一括成立を」

国会は14日、午後1時から衆院本会議を開き、政府と自民党がそれぞれ提出した政治改革法案に対する2日目の質疑を行った。質疑終了後、政治改革特別委員会で両法案の提案理由説明が行われた。週明けの18日から委員会審議に入る。

細川首相は本会議答弁で政治腐敗防止だけ切り離し成立させる可能性について、「一括して成立させなければ政治改革はできない」として、4法案一括成立の必要性を強調した。首相は無所属の自治体首長や、議員の資金調達が困難になるとの指摘に対し「最近の政治腐敗事件の多くが政治家への企業・団体献金によるもの。腐敗防止のためこのような厳しい制限を設けた結果だ」と述べ、推薦政党からの寄付、地域の個人献金で賄えるとの考えを示した。

投票方法について、佐藤自治相が「一票制では無所属候補者に投票した人は比例代表での投票ができない」と自民党案を批判したのに対し、自民党の伊吹文明氏(提案者)が「衆院選挙は政権選択の民意を集約するのが目的だ。二票制では政党本位の選挙にならない」と、政府案を批判した。《共同通信》

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【細川護熙首相】佐川献金について報告

細川首相は14日の衆院本会議で佐川急便グループからの献金問題について、1991年8月までの5年間に2500万円程度の献金を受けたことを認め「複数の会社からの献金で一社当たり100万円未満なので、政治資金収支報告書には寄付者名が出ない」と述べた。

また佐川本社に問い合わせた結果「昨年、グループ組織の大幅な統廃合、人事異動があり、当時の関係者はほとんどいない。検察当局の捜査もあり、過去にさかのぼって政治献金の調査をするのは困難だ」との回答があったことを明らかにした。《共同通信》

【細川護熙首相】PKO隊員ねぎらう

細川首相は14日夕、首相官邸でのカンボジア国連平和維持活動(PKO)終了記念レセプションであいさつし「日本では想像もできない酷暑や豪雨の中で、ご苦労さまでした。日本からの要員の質の素晴らしさを国連のガリ事務総長も高く評価していた。この体験を今後に生かして日本のPKOがさらに大きく進められるよう念願している」と述べ、任務を終えて帰国した自衛隊員らをねぎらった。

陸海空自衛隊員や文民警察官、地方自治体から派遣された選挙監視要員ら出席者約200人を代表して、陸上自衛隊の田村栄一・二等陸佐が「停戦、選挙監視や海空の輸送業務分野で活動し、充実感を胸いっぱいにため込んで帰国した。支援してくれた関係各方面に感謝したい」とあいさつした。

これに先立ち武村官房長官は、田村二等陸佐ら第二次カンボジア派遣停戦監視要員8人に表彰状を贈った。 《共同通信》

【連立与党】“政治改革法案”11月5日までに衆院通過

連立与党は14日午前の政務幹事会で、政治改革法案の会期内成立を図るため11月5日までに法案の衆院通過を目指す方針を決めた。①参院での審議日程を1カ月程度取る必要がある②1993年度第二次補正予算の審議日程を考慮しなければならない—の2点を踏まえたもので、会議に出席した衆院政治改革調査特別委員会の与党理事にこうした方針で委員会運営に臨むよう求めた。

会議後の記者会見で、社会党の野坂国対委員長は、法案の修正問題について「絶対妥協はしないとかは確認しなかったが、今日は出口だけを決めた」と述べた。

【自民党・小里貞利国対委員長】「椿発言」改革委でも究明

自民党の小里国対委員長は14日午前の記者会見で、テレビ朝日の椿貞良報道局長が先の総選挙報道で「非自民党政権誕生を意図した報道を指示した」と産経新聞が報じた問題について、「公選法にかかわる問題との指摘もあり、政治改革調査特別委員会でも(実態解明を)やらないといけない」と述べ、来週から総括質疑が始まる衆院政治改革調査特別委で真相究明を図る考えを表明した。《共同通信》

【テレビ朝日・椿貞良取締役報道局長】社長付に

テレビ朝日は14日、非自民政権が誕生した総選挙の報道をめぐり、民放連の会合で問題発言をした椿貞良取締役報道局長を社長付にすることを決めた。発令は同日付。同社によると、椿取締役は15日に実施される定例の人事異動で、報道局長を外れ、国際局・報道局を担当する取締役に専任する予定だった。しかし、問題発言の発覚により、椿取締役が事実関係の調査に乗り出した郵政省などの対応に追われているため、業務に支障がないよう今回の措置を取ったという。《共同通信》

【政界談話室】

○…細川首相は14日、宮崎市で20日開かれる民間放送連盟主催の民間放送全国大会祝辞用のビデオ撮りを官邸でした。撮影は約3分間で、一回の失敗もなく済んだ。記者団から「さすがにテレビ慣れしてますね」と褒められ、首相は「そうですか」と照れ笑い。さらに、記者団が「連立政権はテレビでつくられたと言う向きもあるが」と意地悪な質問をすると、首相は「影響もありますが、それだけじゃないですから」。

○…自民党の小里国対委員長はこの日午前の記者会見で、政治改革法案の審議について「公明党の市川書記長は野党が審議の促進を渋っているかのような発言をしているとの報道もあるが、決してそのようなさもしい気持ちはない」と弁明。「審議をためらうとか、審議中断をやるというような誤解を受けるようなことは努めてやらない」と、きっぱり言い切った。しかし一方でテレビ朝日報道局長の発言については「政治改革特別委でも(実態解明を)やらないといけない」とし、表向きとは違って徹底審議を求める構えも見え隠れ。《共同通信》

【ソマリア】武装勢力、米兵捕虜ら2人解放

ソマリアからの報道によると、武装勢力アイディード将軍派は14日、首都モガディシオで同派が捕虜にしていた国連兵2人を解放し、赤十字国際委員会当局に引き渡した。解放されたのは、マイケル・デュラン米軍准尉とナイジェリア軍のウマー・シャンカリ兵士。2人は赤十字当局によって、モガディシオで将軍派との政治解決を模索しているオークリー米大統領特使に引き渡された。

デュラン准尉は、ヘリコプターが墜落したときの衝撃で足を骨折するなど負傷しており、担架で運ばれたがリラックスした様子。シャンカリ兵士は「ソマリアにさよならを言いたいだけだ」と語った。

解放に先立ち、アイディード将軍は潜伏先でジャーナリストらと異例の会見をし、「和平の印として捕虜を解放する」と確約した。米国が将軍逮捕という強硬手段から政治解決に方向転換することを決定したのに対し、米国の最優先課題だった捕虜解放をあっさり受け入れることで、政治対話を開始したいとの意思を表したとみられる。

捕虜解放に関して将軍派はこれまで、国連部隊に拘束されているソマリア人捕虜との交換を条件としていた。しかしオークリー特使はクリントン米大統領から捕虜解放の特命を受けて将軍派と接触を開始、解放成功に導いた。接触でどのような話し合いが行われたかは明らかにされていない。デュラン准尉は今月3日、シャンカリ兵士は9月5日に捕虜となっていた。《共同通信》

【ハイチ】法相暗殺

武装した軍部支持勢力によって民政復帰プロセスが妨害されているハイチで14日、ギ・マラリ法相が暗殺された。

軍支持者の犯行とみられ、現地の外交筋は悪化する政情の混乱を「事実上のクーデター状態」と形容している。クリントン米大統領が同日、ハイチ民政復帰に強い決意を示したことに同国軍部は反発している。政治家や米市民、国連職員に対するテロが懸念され、緊迫した局面を迎えた。

首都ポルトープランスからの報道や外交筋などの情報を総合すると、登庁途中のマラリ法相を武装した2人の男が襲撃、法相とガードマンら計4人を射殺した。暗殺直後に警察官(軍に所属)が遺体を収容、外国報道陣を「まだ発砲があるぞ」と脅して排除したという。

現政府は、1991年9月にクーデターを起こしたセドラ軍司令官と、亡命中のアリスティド大統領が調印した民政復帰合意に沿ってことし9月に発足。30日に予定されている大統領帰国の環境づくりを進めていたが、閣僚のほぼ全員が「死の脅迫」を受けている。

法相暗殺は軍側の合意破棄、クーデターに等しいと受け止められており、ダンテ・カプト国連特使は「市街戦状態だ。(合意が規定する)軍指導部の即時辞任だけでは、もはや国連の経済制裁は解除できない」とセドラ司令官、フランソワ首都警察長官を名指しで非難し、軍にテロをやめさせるよう要求した。

脅迫は、国連の人権監視団ら約300人の駐在職員らにも向けられ、軍支持派は、国連のハイチ撤退を訴え、同職員らに水や食料、ガソリンを売らないよう商店を脅している。《共同通信》

【国際アムネスティ】北朝鮮が数万人を拘束

政治犯救済組織の「国際アムネスティ」(本部ロンドン)は14日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が過去30年間にわたって、政治犯ら数千人を虐待または処刑したり、元在日朝鮮人を含む数万人を環境劣悪な収容所に拘束したとする報告書を発表。北朝鮮当局に現在も収容中の政治犯の釈放を訴えた。

報告書は収容者の一人として、1964年10月以来拘束されている「日本国籍の芝田孝三さん」を挙げており、生存中なら62歳のはずだとしている。芝田さんは90年末に「再教育キャンプ」にいるのが確認されているが、その後の消息は不明で、家族も収容されている可能性があるという。

多くの政治犯は裁判なし、または極めて不公平な裁判の末に拘束されており、「労働による再教育」が目標の収容所の環境は劣悪で、大勢が寒さや飢え、病気などで死亡。一部の「特別」犯の収容所では食料が全く配給されず、自力生産に頼るほかなかったという。

アムネスティによると、北朝鮮当局は人権侵害はないと否定しているが、報告書に挙げられた事例は元一容者の話などを基にしており、信頼できるとしている。また北朝鮮の憲法や法律で規定された人権は、国際水準をはるかに下回っているという。こうした実態を踏まえ、報告書は北朝鮮に①すべての政治犯の釈放②死亡した収容者の公表③国際的な人権規約の尊重—などを呼び掛けるとともに、実態調査のために人権組織の北朝鮮入国を認めるよう要求した。《共同通信》

【石田博英元労相】死去

元労相の石田博英氏が14日午前1時56分、心不全のため東京都渋谷区のセントラル病院本院で死去した。78歳。秋田県出身。

昭和14年、早大政経学部卒。日本経済新聞の前身である中外商業新報に入社。上海支局長、政治部次長などを経て22年、新憲法下初の総選挙で衆院初当選(秋田1区)し政界入り。田中、鈴木、中曽根各元首相とは同期だった。31年暮れの自民党総裁選では、2、3位連合の奇策を用いて圧倒的に有利とみられた岸信介氏を決選投票で大逆転、石橋湛山氏の政権を樹立、総裁選史に大きな足跡を残した。

石橋内閣では女房役の官房長官に。しかし石橋氏は2カ月余りで病気辞任。後継の岸内閣でも官房長官に留任した。その後、労相を通算6期務め、「石田労政」時代を築いた。特に「60年安保闘争」とほぼ並行して起きた三井三池争議の調停に大きな力を発揮するなど労働側に軸足を置いたリベラルな労政を推進。三木内閣では運輸相として入閣、党務では幹事長代理も務めた。《共同通信》



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