平成7818日目

2010/06/04

【この日の民主党】

新代表に菅直人氏

鳩山由紀夫代表の辞任に伴う、代表選挙が4日午前両院議員総会で行われ、新代表に菅直人衆院議員を選出した。

代表選挙には、樽床伸二衆院議員、菅衆院議員が立候補し、それぞれ政見演説し、支持を訴えた。投票結果は、菅候補291票、樽床候補129票。有権者(衆参の党籍を持った国会議員)数423、投票数422、有効投票420、無効票2。

樽床候補は、政見アピールで、出馬の機会が与えられたことに感謝したうえで、「ピンチをチャンスに変える最大の方法は全ての議員が心を一つにすること。衆知を集め、国民の声を集め、日本の危機を乗り越えることが必要。私一人は非力だが、400人が一つになれば千倍の仕事ができる。非力ではあるが可能性を信じて支持を賜りたい」と訴えた。

菅候補は、政見アピールで、鳩山総理が取り組んできたことをさらに進めたいとして、(1)地域主権(2)新しい公共(3)東アジア共同体(4)地球温暖化対策を挙げ、これを自らの課題として全力で取り組むとした。さらに、日本の行き詰まりを打破するとして、強い経済、強い財政、強い社会保障を掲げてこれを実現すると訴えた。また、みんなが議論に参加するために政策調査会を復活させるとした。

小平忠正中央代表選挙管理委員長が投票結果を報告し、満場の拍手で確認され、続いて松本龍両院議員総会長が選挙管理委員長の報告の再度の確認を求め、満場の拍手で確認された。

続いて、菅新代表、樽床衆院議員がそろって、登壇。固い握手を交わした。菅新代表は、「私からノーサイドを宣言する。これから正に一体となって難しい政治、目前に迫った参院選を戦い抜く。私たちは政権を預かっている。代表は総理という重い役割を担わなければならない。日本の立て直しの案を皆さんと一緒になって作り上げ、当事者である人はもちろん、非改選の参院議員も、衆院議員も私が先頭に立つ覚悟なので、皆さんもその覚悟を。参院選挙の勝利の後に本格政権をともに築いていきたい」と挨拶した。

樽床議員は、「新しい時代の政治を切り開くため、今後ともご指導、ご鞭撻を」と挨拶した。《民主党ニュース》




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【菅直人氏】第94代首相に選出

平成22年6月4日午後、衆参両院にて首相指名投票が行われ、菅直人議員が、伊藤博文初代内閣総理大臣から数えて第94代目(61人目)の内閣総理大臣として指名されました。《首相官邸》

民主党は4日の両院議員総会で、菅直人副総理兼財務相(63)を新代表に選出した。菅氏はこの後の衆参両院本会議で、退陣した鳩山由紀夫首相(党代表)に後継の第94代、61人目の首相に選出された。

菅氏は官房長官に仙谷由人国家戦略担当相の起用を内定。代表就任に伴い復活させる方針の党政調会長との兼務を検討している。《共同通信》

【鳩山内閣】総辞職(職務執行内閣として6月8日まで存続)

平成22年6月4日、鳩山内閣は総辞職しました。

この日の閣議で、閣僚の辞表を取りまとめて総辞職を決定した後、内閣総辞職に当たっての内閣総理大臣談話を発出しました。

鳩山総理は、スタッフたちに見送られながら総理大臣官邸を後にしました。《首相官邸》

鳩山内閣は4日午前の閣議で総辞職した。鳩山由紀夫首相の在任日数は昨年9月16日の就任から262日(4日時点)で、現行憲法下では5番目の短命内閣となった。自らが官房副長官として仕えた細川護熙氏の263日に1日及ばず、祖父の鳩山一郎氏の745日にも届かなかった。

総辞職にあたって首相は「このたび道半ばにして退くことにした。国民との約束を全うすることができず大変申し訳ない」との談話を発表した。退陣に伴う記者会見はしなかった。

首相は閣議で「10年、20年先の日本のあり方を念頭に置きながら理想を持って様々な課題に取り組んできた」と振り返った。そのうえでクリーンな政治をつくり上げることが必要と訴え「将来の沖縄を展望しつつ、負担の軽減など基地問題に取り組み、日米同盟を21世紀にふさわしい形で深化させることが何よりも大切だ」と語った。《日経新聞》

【サッカー日本代表】国際Aマッチ4連敗

サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会に出場する日本代表は4日、スイスのシオンでコートジボワール代表とW杯前最後の強化試合を行い、0−2で敗れた。日本は国際Aマッチ4連敗で、1998年W杯フランス大会での3戦全敗と直前のユーゴスラビア戦に敗れて以来、12年ぶりの屈辱となった。《共同通信》



6月4日 その日のできごと(何の日)