平成10907日目

2018/11/18

この日のできごと(何の日)

【APEC】首脳宣言断念して閉幕

パプアニューギニアで開かれている日米中など21カ国・地域が参加するアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が18日午後、閉幕した。会議では米中の首脳が通商政策を巡り批判合戦を繰り広げて最後まで意見の隔たりが埋まらず、首脳宣言の採択を断念した。採択断念は1993年のAPEC首脳会議の発足後、初めて。今月末には米中首脳会談がアルゼンチンで予定されているが、両国の対立激化が改めて浮き彫りとなった。

米中両国がそれぞれの主張を首脳宣言に盛り込むよう求め、折り合えなかった。代わりに議長声明を近く公表する方針だ。《共同通信》

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【丹波篠山市】誕生へ

「丹波篠山市」への市名変更の賛否を問う兵庫県篠山市の住民投票と、前市長辞職に伴う出直し市長選が18日投開票され、住民投票は改名賛成が反対を上回った。投票率は69・79%。市長選は改名推進派の前市長で無所属の酒井隆明氏(64)=自民、国民、公明、維新推薦=が4選を果たした。市によると、自治体の改名を巡る住民投票は全国初とみられる。

酒井氏は開票後に「直ちに市議会で市名変更を提案したい」と発言。市議の多くがこれまでに投票結果に従うと述べており、改名が確実になった。早ければ来年5月に実現する。

住民投票の改名賛成は1万3646票で、反対を3128票上回った。《共同通信》

【愛媛県知事選】中村時広氏が3選

任期満了に伴う愛媛県知事選は18日投開票の結果、無所属現職中村時広氏(58)が、市民団体代表幹事和田宰氏(66)=共産推薦=と介護サービス会社社員田尾幸恵氏(49)の無所属2新人を破り、3選を果たした。投票率は39・05%で前回を3・88ポイント下回り、過去最低となった。

中村氏は自民、立憲民主、国民民主、公明、社民各党の地方組織の支援を受けた。7月の西日本豪雨で被害を受けた農業の振興や防災・減災対策、地域経済活性化への取り組みを強調した。

学校法人「加計学園」幹部が県などに虚偽の説明をした問題を追及した経緯もあり、知名度は高く、支持固めは順調だった。《共同通信》

【安倍晋三首相】保護主義台頭に懸念

安倍晋三首相は18日、パプアニューギニア・ポートモレスビーでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で、米中両国の貿易摩擦を踏まえ、保護主義の台頭に懸念を示した。世界貿易機関(WTO)改革など、自由貿易を巡る国際ルール策定へ積極的に関与する姿勢も表明した。

保護主義の台頭に関し、世界中で貿易摩擦が激化し経済に混乱を招きかねないとして、改めて警鐘を鳴らした形だ。

年内に発効する環太平洋連携協定(TPP)が、21世紀の貿易や投資ルールの基礎になり得ると強調。アジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)の将来的な実現に意欲を見せた。《共同通信》

安倍晋三首相は18日夜、シンガポール、オーストラリア、パプアニューギニアの3カ国歴訪を終え、政府専用機で羽田空港に帰国した。5日間の歴訪で「自由で開かれたインド太平洋」構想や自由貿易推進の意義を重ねて発信し、各国首脳との会談も積極的にこなした。しかし、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領との会談はなかった。元徴用工による訴訟で韓国最高裁が日本企業に賠償を命じた判決への対応を示せない文氏と会談しても無意味だと判断、「戦略的放置」に徹したようだ。

「国際的なルールにのっとり、貿易投資の自由化によって繁栄するアジア太平洋地域は『自由で開かれたインド太平洋』の核だ」

安倍首相は18日、パプアニューギニアの首都、ポートモレスビーで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議でこう訴えた。各国首脳との会談でも自由や法の支配の重要性を説いて賛同を得た。

文氏とは、15日にシンガポールで行われた東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議の場で2回、17、18両日のAPEC首脳会議や関連会合と計4回接触した。

首相同行筋によると、最初のASEANプラス3(日中韓)では文氏が安倍首相に駆け寄り握手を求めた。首相は握手こそしたものの、話しかけてきた中国の李克強首相に顔を向けたという。《産経新聞》

【中尾栄一さん】死去

元建設相で元衆院議員の中尾栄一氏が18日死去。88歳だった。告別式は近親者で済ませた。

1967年に当時の衆院山梨全県区で初当選。自民党入りし、衆院議員を10期務めた。2000年の衆院選で落選した直後、建設相在任中の建設省発注工事を巡り建設会社側から賄賂を受け取ったとして、東京地検特捜部に受託収賄容疑で逮捕された。04年に懲役1年10月、追徴金6000万円の実刑が確定したが、病気のため刑の執行が停止され、収監は見送られた。《読売新聞》



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