平成6272日目

2006/03/11

【フィギュア世界ジュニア選手権】小塚崇彦選手が金メダル獲得

フィギュアスケートの世界ジュニア選手権最終日は11日、スロベニアのリュブリャナで男子フリーを行い、小塚崇彦(愛知・中京大中京高)が119・98点をマークして通算180・05点とし、ショートプログラム(SP)2位から逆転優勝した。

初出場だった小塚は日本から3人目の世界ジュニア王者となり、同種目は昨年の織田信成(関大)に続き、日本勢が2連覇した。フリーは序盤の3回転ジャンプでやや乱れたが、後半で立て続けに連続ジャンプを決めて盛り返し、切れのいいスピンでも高得点を挙げた。

17歳の小塚は、父の嗣彦氏が1968年グルノーブル五輪フィギュア代表。今季はジュニアグランプリ(GP)ファイナルを日本男子で初制覇しており、ジュニアの主要2冠を獲得した。

15歳の無良崇人(明治神宮外苑ク)が168・39点で5位に食い込み、柴田嶺(明大)は151・01点で12位だった。《共同通信》




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【スロボダン・ミロシェビッチ氏】死去

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旧ユーゴスラビア紛争で集団虐殺や戦争犯罪に問われ、旧ユーゴ国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)で公判中だった元ユーゴ大統領、スロボダン・ミロシェビッチ被告が11日午前、ハーグの拘置所の独房で死亡しているのが見つかった。64歳だった。被告の死亡により、公訴は取り下げられ、裁判は中止になる。

元国家元首の戦争犯罪を裁き、旧ユーゴに平和と安定を取り戻すという法廷の試みは志半ばに終わり、90年代の旧ユーゴ紛争の責任を解明する作業は大きくつまずくことになる。ミロシェビッチ被告がベッドで死亡しているのを同日朝、拘置所の職員が発見した。被告は心臓に持病を持つうえ高血圧に悩まされていた。

被告は90年にセルビア共和国大統領に当選。旧ユーゴ連邦崩壊後、95年にボスニア・ヘルツェゴビナ東部のスレブレニツァで起きたモスレム人数千人の殺害事件などに関与したとして、99年に起訴された。20万人前後の死者と約400万人の難民を出したとされるクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボなどの紛争の責任者とされている。《朝日新聞》



3月11日 その日のできごと(何の日)