平成2941日目
1997/01/26
この日のできごと(何の日)
【テニス・全豪オープン】最終日
テニスの全豪オープン最終日は26日、メルボルンのナショナル・テニスセンターで男子シングルス決勝を行い、第1シードのピート・サンプラス(米国)がノーシードのカルロス・モヤ(スペイン)を6−2、6−3、6−3で下して3年ぶり2度目の優勝を果たし、賞金58万5000オーストラリアドル(約5500万円)を獲得した。
サンプラスは昨年の全米オープンに続く四大大会制覇。通算9勝は1968年のオープン化以降ではビヨルン・ボルグ(スウェーデン)の11勝に次ぐ史上2位で、ツアー通算45勝をマークした。サンプラスはサーブ、ストロークとも好調、四大大会で初めて決勝に進出した20歳のモヤを圧倒した。《共同通信》
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【大相撲初場所】千秋楽
大相撲初場所千秋楽(26日・両国国技館)前日7場所ぶり3度目の優勝を決めていた大関若乃花は、大関同士の一番で武蔵丸に敗れ14勝1敗となり、初めての全勝優勝は逃した。若乃花は激しい攻防から武蔵丸を寄り詰めたが、土俵際の突き落としで逆転された。武蔵丸は12勝3敗。
横綱同士の結びの一番は、貴乃花が豪快な左上手投げで曙を下し13勝2敗。曙は終盤で崩れて12勝3敗だった。初の技能賞の旭鷲山は来場所の新小結が、殊勲賞の土佐ノ海は小結返り咲きが確実。琴竜が10勝5敗で初の敢闘賞を受賞した。若乃花が史上初の兄弟横綱をかける春場所は、3月9日から大阪府立体育会館で行われる。《共同通信》
【大阪国際女子マラソン】
第6回世界陸上選手権(8月・アテネ)の選考レースの一つとなる大阪国際女子マラソンは26日、大阪市長居陸上競技場発着の42.195キロで外国招待選手11人を含む286選手が参加して行われ、カトリン・ドーレ・ハイニニッヒ(ドイツ)が2時間25分57秒で2年連続4度目の優勝を飾った。
連覇は1986、87年のローレイン・モラー(ニュージーランド)以来で、4度の優勝は最多。日本選手は原万里子(富士銀行)が日本歴代10位の2時間26分54秒で2位に入った。3位はリディア・シモン(ルーマニア)。初マラソンの野村洋子(資生堂)は5位、松山暢子(三田工業)ーが6位、高橋尚子(リクルート)が7位。アトランタ五輪銀メダルのワレンティナ・エゴロワ(ロシア)は34キロすぎで途中棄権した。《共同通信》
【橋本龍太郎首相】韓国・金泳三大統領と会談
橋本龍太郎首相と韓国の金泳三大統領は25、26日両日の会談で、対朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政策で緊密に協力していくことを確認した。しかし日韓には食糧支援の進め方など対北朝鮮政策で微妙な立場の差があり、29日に開かれる4者会談のための米韓合同説明会以降の日米韓の政策調整が今後の焦点となりそうだ。
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橋本龍太郎首相と金泳三韓国大統領は26日、大分県別府市を舞台にした2日間計4回にわたるロングラン首脳会談の日程を終えた。会談の主眼だった対朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政策で大統領は、日本が課題とする日朝国交正常化交渉の再開は「頭越しにならぬように」とくぎを刺し、韓国側の警戒感をのぞかせた。
今月末の南北朝鮮と米中両国の四者会談に関する事前説明会後に日程に上るとみられる北朝鮮への「食糧支援問題でも、積極的一な米国と消極姿勢の韓国とのはざまで、日本が苦しい立場になる場面も予想される。 潜水艦侵入事件に対する北朝鮮の「遺憾の意」表明で、朝鮮半島情勢が新たな展開を見せる中で、政府は今後の対北朝鮮政策で難しい判断を迫られそうだ。
大統領は25日の首脳会談で「(会談に先立つ)昼食会で申し上げるべきだったが」と前置きして、日朝国交正常化問題に言及。「四者会談や南北関係の動きを勘案しながら進めてもらいたい。韓国と緊密に連携してほしい」と要請した。 首相は大統領に「南北関係に役立つ形で日朝交渉を進める」という日本の基本方針は不変と強調したが、政府には米朝関係の進展もにらみながら、平成4年以来中断されている日朝交渉の再開に取り組むべきとの考えも根強い。
さらに大統領は、北朝鮮の食糧事情をめぐって突っ込んだ分析を示し、食糧支援問題が近く焦点になるとの認識をにじませもした。日本と北朝鮮は昨年、両国外務省の担当課長が非公式にしばしば接触しているが、日本が四者会談実現を重視していることや、潜水艦侵入事件の影響などで実質的な進展は見られていない。その意味で、日本政府も半島情勢の好転で交渉再開の機運は高まると期待しており、大統領があえて日朝問題に触れたのは、日本に対する韓国の警戒感の裏返しとも言える。
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韓国の潘基文・青瓦台(大統領官邸)外交安保首席秘書官は26日、別府で開かれた日韓首脳会談について、橋本首相と金大統領の個人的な信頼関係をさらに強め、対朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)政策での協力態勢を再確認するなど大きな成果を挙げた、と述べた。 また、漁業問題など両国間の懸案問題や、台湾から北朝鮮への核廃棄物移送などでも協力関係が構築できた、と評価した。《共同通信》
【ナホトカ号重油流出事故】回収作業続く
ロシアタンカー「ナホトカ」の重油流出事故で26日、石川県内では羽咋や珠洲、金沢市など13市町で回収作業が進められ、みぞれ混じりの強風が吹くなか、住民やボランティア、自衛隊など約1万2000人が油除去に汗を流した。一方、小松から珠洲までの11市町の沿岸で油粒や油塊の再漂着が確認された。
日本海沿岸は26日、風速20メートルを超える大しげとなった。石川県災害対策本部によると、同日午前から羽咋で2500人、珠洲で2472人など客地で人海戦術が行われ、参加者は19日の1万7000人に次ぐ多さとなった。自衛隊による作業も加賀、珠洲、輪島市で行われた。
回収量は、珠洲市の286キロリットルを最高に、計745.6キロリットルとなった。県災害対策本部のまとめでは、26日までの総作業人数は7万3755人、油回収量は6729キロリットルに達した。
油の再漂着は小松、根上、松任、美川、金沢、内灘、高松、押水、志雄、羽咋、珠洲の沿岸で、いずれも油粒が見つかった。志賀町の北陸電力志賀原子力発電所でも、オイルフェンス内側に油膜の付着したホンダワラが見つかったが、荒天で回収は見送られた。
福井県三国町沖では、高波のためタンカー船首部の重油抜き取り作業が中断。作業用仮設道路は26日朝までに、先端約25メートルが波で破損したが、修復作業は見送られた。
重油のゆう出が続いている島根県隠岐島沖の船体沈没現場周辺では、海洋科学技術センターの深海観測装置「ディープ・トゥ」による調査は荒天で中止された。《北國新聞》
【ペルー日本大使公邸占拠事件】病気の警察幹部1人開放
リマの日本体資公邸人質事件で、26日午前0時50分ごろ、人質のうち新たに国家警察幹部のホセ・リバス将軍が解放された。体調悪化のためとみられる。人質の解放は今月17日に日系のルイス・バレンシア・ヒラノ国家警察テロ対策本部情報部長が病気のため解放されて以来で、残る人質は72人となった。
一方、ペルー国家警察は25日、公邸周辺での威圧行動を断続的に展開した。ゲリラ側を心理的に揺さぶるのが狙いとみられるが、赤十字国際委員会や日本政府による人質の安全へ一の懸念表明を事実上、無視している。
ミニグ赤十字国際委員会ペルー事務所代表の発表によると、リバス将軍の解放は、シプリアニ司教と赤十字の説得に極左ゲリラ、トゥパク・アマル革命運動(MRTA)が了解し、実現した。公邸内から担架で運び出された将軍はすぐに救急車に乗せられた。
公邸周辺では25日、前夜に続いて装甲車が公邸近くに配備され、警官が公邸の角にある通用口を開け、公邸敷地内の警備員詰め所に入るような動きも見せた。ゲリラ側は同日夕、空中に数発発砲、警告とみられる反発を示したが、それ以外、特別な動きは見せていない。一連の威圧行動に対し、日本政府は同日、現地対策本部を通じてペルー政府に懸念を表明した。《共同通信》
大司教、邸内で初のミサ
リマの日本大使公邸人質事件は26日、ペルーの最高位の聖職者バルガス・アルサモラ大司教が事件後初めて公邸でミサを行った以外、ペルー国家警察、トゥパク・アマル革命運動(MRTTA)武装グループ双方とも目立った動きを見せず、発生から40日が過ぎた。 大司教は同日午前11時(日本時間27日午前1時)ごろ、シプリアニ司教と公邸に入り、事件発生から6回目の日曜ミサを行った。約30分後、邸外に出た大司教は、報道陣にMRTAのリーダー、ネストル・セルパ容疑者らMRTAメンバー、人質とは直接「話をしなかった」と述べたほか、政府と同容疑者の直接交渉の場となる保証委員会についても「わたしには分からないことだ」と語り、交渉には関係していない立場を強調した。 公邸周辺では、25日夜までのような、装甲車や特殊部隊を使った警察側の挑発的な威圧行動は見られず、警察のヘリコプターが時折、公邸上空を旋回しただけだった。赤十字国際委員会ペルー事務所のルベン・オルテガ広報担当によると、部内のMRTA武装グループにも特に目立った動きはなく「人質とともに平穏な様子」だという。《共同通信》
【藤沢周平さん】死去
江戸時代の市井に生きる庶民や下級武士の哀歓を、温かく描いた時代小説の人気作家、藤沢周平氏が26日午後10時15分、肝不全のため東京都新宿区の国立国際医療センターで死去した。69歳。山形県出身。
山形師範学校(現山形大)卒。中学校教師、業界紙記者を経て40歳代で作家としてデビューした。おう盛な創作意欲で剣客物、市井物、伝記などに幅広く取り組み「時代小説の第一人者」と評された。英雄の成功よりも、人間の弱さに目を向ける作風が多くの読者から愛された。
昭和四十八年に「暗殺の年輪」で直木賞、同61年に「白き瓶」で吉川英治文学賞。さらに、時代小説への貢献で菊池寛賞「市塵」で芸術選奨文部大臣賞を受賞し、平成7年には紫綬褒章を受けた。
教師時代に結核で闘病生活を送った。最近は慢性肝炎の治療のため食後は横になるなど「人生の半分以上は寝ている感じです」と話すこともあった。主な作品に「用心棒日月抄」「蝉しぐれ」「本所しぐれ町物語」「玄鳥」など。「三屋清左衛門残日録」をはじめテレビドラマの原作となった作品も多い。《共同通信》