平成3767日目

1999/05/02

この日のできごと(何の日)

【競馬・第119回天皇賞】

第119回天皇賞(春)(2日・京都3200メートル芝12頭、G1)「三強決戦」で注目され、約11万8000人の大観衆が見守ったレースは、武豊騎乗の一番人気スペシャルウィークが3分15秒3のタイムで優勝。1着賞金1億3200万円を獲得した。

武騎手は春の天皇賞5勝目で、岡部幸雄騎手の4勝を上回って春最多勝、秋を含めると天皇賞は7勝、G1レースも28勝目で、岡部騎手と並ぶG1最多勝騎手となった。《共同通信》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

情報量が少ない日は随時加筆中です。

引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。

外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)

古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。

このサイトについて

【全日本女子柔道選抜体重別選手権】

世界選手権(10月・バーミンガム)の代表最終選考会を兼ねた第22回全日本女子柔道選抜体重別選手権は2日、東京・代々木第二体育館で行われ、48キロ級で田村亮子選手(トヨタ自動車)が9年連続9度目の優勝を果たした。《共同通信》

【民主党・菅直人代表】「ポスト小渕」売り込み懸命

中国を訪問中の民主党の菅直人代表は、要人との会談で日米防衛協力のための新指針(ガイドライン)の法制化に対し中国側の理解を求めるなど「菅政権」の対中政策を懸命に売り込み。「ポスト小渕」の首相候補としての存在感を印象付けようと躍起だ。2日には西安市内で衆参民主党会派議員数と同じ149本の苗木の植樹式を行い、「次の訪中では300本に増やしたい」と強調した。

ただ、自自公連立強化の中で、頼みの公明党との選挙協力が「棚上げ」(菅氏)され、従来の政権戦略の行き詰まりは明らか。菅氏にとって、政権担当能力をアピールしながら、政権奪取への明確なシナリオを描けない「ジレンマを抱えた旅」となっている。《共同通信》

【コソボ紛争】ユーゴ、米兵3人を釈放

ユーゴスラビア政府は2日午前(日本時間同日午後)、拘束していた米兵3人を約1カ月ぶりにベオグラードで釈放、ユーゴ訪問中の米黒人運動指導者ジェシー・ジャクソン師に引き渡した。ジャクソン師によると、クリントン米大統領は同師に電話で「紛争解決の良い機会だ」と述べた。しかし、コーエン米国防長官は「ミロシェビッチ・ユーゴ大統領がコソボ自治州からの軍撤退など5条件を受諾しない限り、空爆は停止しない。空爆を一層強化する方針だ」と述べた。

同師は3人とともに1日、ベオグラードからバスで隣国のクロアチアに行き、空路ドイツのラムシュタイン空軍基地に到着した。3人は数日間、事情聴取や健康診断を受けた後、米国へ帰る予定。

今回の釈放は、戦争捕虜として北大西洋条約機構(NATO)空爆が終わるまで釈放しないとしていたユーゴ政府の大きな方針転接。アナン国連事務総長やロシア大統領特使による和平仲介努力が続く中、ユーゴとしては譲歩の姿勢を示すことで、欧米に揺さぶりをかけ、一定の譲歩を引きだそうとの狙いがあるものとみられる。

【自民党・森喜朗幹事長】緒方貞子氏と会談

欧州を訪問中の自民党の森喜朗幹事長は2日(日本時間3日未明)、スイス・ジュネーブの日本大使公邸で緒方貞子国連難民高等弁務官と会談した。森幹事長はユーゴスラビア・コソボ州の難民支援問題について「長期化の恐れもあり、日本として果たし得る援助は何かを考え、本格的に取り組みたい」と述べ、政府・与党として追加支援策を検討する意向を示した。

森氏は自民、自由両党が現地に合同調査団を派遣する方針を伝えるとともに、国連難民高等弁務官事務所に対する自民党からの資金援助の一部として16万6000ドル(約2000万円)の小切手を手渡し、「今後、全国の党員党友からさらに義援金を募りたい」と述べた。

これに対し緒方氏は「(難民支援で)日本人の顔が見えることがうれしい」と調査団の派遣を歓迎した。また、同氏は難民帰還の際に必要となるコソボ自治州への国際派遣団について「武装監視団が入らないと治安は保たれない」と指摘した。さらに、難民の状況に関しては「テントで冬をしのぐのは難しい。住宅環境をどう整えるか6月には判断したい」と語り、住宅整備が大きな課題であるとの認識を示した。《北國新聞》

【小渕恵三首相】「ケネディ氏と出会い、ここまでこれた」

小渕恵三首相は2日午後(日本時間3日午前)、ワシントンで、知人や米議会関係者らと相次いで会ったほか、米国公演中のNHK交響楽団のコンサートに顔を見せるなど、翌日の日米首脳会談を前に、あわただしい日程をこなした。

早大大学院生時代の1963年に訪米した際、故ロバート・ケネディ司法長官との面会を仲介した秘書のノベロさんと会った首相は「米国で一番強い印象を持ったのはケネディ氏との出会いであり、それがきっかけとなってここまで行き着くことができた」と、あらためて感謝の意を伝えた。

ノベロさんは「ケネディ氏は(首相の母校の)早大に行ったことがあり、ケネディ夫妻はよく早大校歌を歌っていた」と、思い出話を披露、首相も興味深げに耳を傾けた。《共同通信》



5月2日 その日のできごと(何の日)