平成5132日目

2003/01/26

この日のできごと(何の日)

【中国】台湾機、初の乗り入れ

2月1日からの春節(旧正月)休暇期間中に帰省する上海地区在住の台湾ビジネスマンや家族を乗せるため、台湾の航空会社が運航する香港などを経由したチャーター便の上海乗り入れが26日午前、第1便の中華航空ジャンボ機を皮切りにまった。

1949年の中台分断以来、台湾旅客機が中国に乗り入れるのは初めて。中台間の「三通」(通商、通航、通信の直接開放)のうち、事実上最後の懸案である直航実現の契機となり、関係改善につながるかどうかが注目される。

中国は今回の乗り入れを極めて重視。チャーター機に国賓級の特別機が使うスポットを提供するなど歓迎ムードを演出した。《共同通信》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

情報量が少ない日は随時加筆中です。

引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。

外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)

古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。

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【大相撲】

大相撲初場所千秋楽(26日・両国国技館)14日目に2場所連続優勝を決めていた朝青龍は武双山との大関対決を送り出しで制し、14勝目を挙げて横綱昇進を決定的にした。関脇同士の対戦は琴光喜が隆乃若を送り倒し、ともに9勝6敗となった。敢闘賞の小結若の里は出島に押し出されて11勝4敗。新入幕の春日王は勝って10勝目を挙げ、敢闘賞を受賞した。十両は優勝決定戦の末、朝赤龍が11勝4敗で優勝した。春場所は3月9日から大阪府立体育会館で行われる。《共同通信》

【大阪国際女子マラソン】野口みずき選手が初優勝

大阪国際女子マラソンは26日、長居陸上競技場発着で行われ、野口みずき(グローバリー)が日本歴代2位の2時間21分18秒で初優勝し、世界選手権(8月・パリ)代表の座を獲得した。野口のタイムは世界歴代8位で、1999年に山口衛里(天満屋)が東京国際で樹立した2時間22分12秒を上回る女子マラソン国内最高記録。2位は昨年のロッテルダム2位の千葉真子(豊田自動織機)で2時間21分45秒。3位は坂本直子(天満屋)で初マラソン日本最高となる2時間21分51秒だった。前回覇者のローナ・キプラガト(ケニア)は4位だった。

山中美和子(ダイハツ)は右足首を痛めて25キロ手前で途中棄権、小幡佳代子(アコム)は病気のため、欠場した。(スタート時晴れ、気温8・2度、湿度43%、北北西の風0・8メートル)《共同通信》

【テニス・全豪オープン】

テニスの四大大会今季第1戦、全豪オープン最終日は26日、メルボルン・パーク・テニスセンターで行われ、男子シングルス決勝は第2シードのアンドレ・アガシ(米国)がライナー・シュットラー(ドイツ)を6−2、6−2、6−1で下して2年ぶり4度目の優勝を果たした。アガシの四大大会シングルス制覇は、一昨年の全豪以来で通算8勝目。

アガシは正確なショットでシュットラーを圧倒、1時間16分で決着をつけた。男子シングルス決勝の合計ゲーム数23は、大会史上最少タイ記録。

混合ダブルス決勝はリーンダー・パエス(インド)マルチナ・ナブラチロワ(米国)組が優勝。46歳3カ月のナブラチロワは、男女を通じて四大大会の最年長優勝記録を更新した。《共同通信》

【谷佳知さん、田村亮子さん】婚約会見

シドニー五輪柔道女子48キロ級金メダリストの田村亮子選手(27)=トヨタ自動車=とプロ野球オリックスの谷佳知外野手(29)が26日、福岡市内の田村選手の実家で結納を交わし、同市内のホテルで正式に婚約を発表した。

ベージュ色の服で記者会見に登場した田村選手は「これからは2人で力を合わせて、お互い向上していきたい」とうれしそう。2000年シドニー五輪後からの交際を振り返って「充実していた。あっという間の2年半でした」と明るい笑顔を浮かべた。

黒のスーツに身を包んだ谷選手は緊張した面持ちで「すごくうれしい。これから(田村選手を)幸せにしたい」ときっぱり。結納は昨年12月に予定されていたが、谷選手側に不幸があったため、延期となっていた。2人はことしのプロ野球のシーズンが終了するのを待って結婚する予定。結婚後、田村選手は谷姓で大会に出場する。《共同通信》

【真藤恒さん】死去

NTTの初代社長を務め、リクルート事件で収賄の罪に問われ有罪判決を受けた真藤恒氏が26日午前、肺炎のため東京都内の病院で死去した。92歳。福岡県出身。

九州大卒。石川島播磨重工業の社長、相談役を経て、1981年に同社出身の故・土光敏夫経団連名誉会長(当時)に請われ、旧日本電信電話公社総裁に就任。同公社の民営化を積極的に推進し、85年4月のNTT発足に伴い初代社長に就任した。

しかし、リクルート事件で、同社事業への支援の謝礼として値上がり確実な未公開株の譲渡を受けたことが発覚し、88年にNTT会長を辞任。89年にNTT法違反(収賄)容疑で逮捕。90年に懲役2年、執行猶予3年の有罪判決(同年確定)を受け、公職や経営の一線から身を引いていた。《共同通信》



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